浦頭への引き揚げの歴史 (資料館資料より) |
2020年6月29日(月) |
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昭和20年(今から85年前)の8月15日多くの人が亡くなった戦争
が終わりました。その時、海外には約629万人の日本人が残されました。
そうした人たちを支援する援護局が佐世保にあり、浦頭にたくさんの人が
海外から引き上げてこられました。
その数、なんと139万6468人
満州や中国、台湾、フィリピンやインドネシアなど、たくさんの国から
浦頭へ、引揚船に乗って帰ってこられました。
やっと日本に帰ってこられた!
着の身着のまま、わずかな荷物での船旅。船底に多くの人たちが押し込
められました。そこで亡くなる人も大勢いました。「日本に戻れる」それ
だけが希望でした。
過酷な船旅の後に見えたふるさと日本、浦頭の風景は、どんなにか美し
かったことでしょう。 |
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やっとふるさとへ帰れる! 宮駅から全国へ
引き上げした人の多くは、栄養失調や病気、敗戦による迫害によって、
命からがら海外からもどってこられました。
浦頭で、消毒・検査の後、ふるさとに帰れる日を待ちました。
浦頭から、全国各地に向かう宮駅(今の南風崎駅)まで、7キロメー
トルの山道を歩き、佐世保引揚援護局を目指しました。7キロメートルの山道は大変でしたが、やっとふるさとに帰れるのです。
この方々が歩いた道こそ、いつもみんなが歩いている国道202号線です。今の東明中や江上小の前を歩いたのです。
今のローソンンがあるところから右に曲がり、今のハウステンボスがあるところを目指します。そこには、早岐瀬戸をわたる木の橋がありました。そこを渡って南風崎駅を目指しました。(6.29平和集会校長講話より)
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安らかにお眠りください。
残念ながら、ふるさとへ帰れなかった人たちもいます。その数6千人余り。その人たちが静かに眠っているのが「釜墓地」です。
今年はコロナでありませんでしたが、毎年慰霊祭があり、江上小の代表も
参加しています。こうした人の苦労があって今の平和があります。
縁あって、針尾島に住んでいる私たちは、こうした歴史を知り、決して忘れないでほしいと思います。(6.29 校長講話より)
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最終更新日 [2020年8月27日]
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