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小佐々弾正・甚五郎(こさざだんじょう・じんごろう)の墓

 


 郷村記には、大村純定と共に「葛の峠の合戦」で戦死したと言われていますが、純定の墓とは

離れた南風崎町にあります。

 

  墓の横に立っている石碑には、「この塚は永禄12年7月4日の「葛の峠の合戦」で討ち死にした

大将小佐々弾正純俊と副将小佐々甚五郎純吉の武勇と戦功をたたえるため、小佐々氏一族に

より戦国期に建立された墓所である。」と書かれています。

 

  弾正が葛の峠で討ち死にしたので、甚五郎はその首が敵の手に渡らぬように、弾正の首を抱え

てこの地(南風崎の旧道)まで逃れてきました。でも敵に追いつかれ殺されてしまいます。その後

大村方の小佐々次郎左右衛門純当が弾正と甚五郎の亡きがらを見つけ、この地に手厚く埋葬した

そうです。

 

 この甚五郎という人は、あのキリシタン大名である大村純忠に派遣されて、日本人として初めて

ヨーロッパに行って帰国した「天正少年遣欧使節」の四人の一人である中浦ジュリアンの父親だった

そうです。

 

☆紹介文は、宮小学校文化クラブのメンバーが作成したものです。

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